頭の中が「めんどう」で埋め尽くされると危険

最近のわたくしの精神状況といえば不安や焦りが思ったよりも少なく、代わりと言っちゃなんだが、端が見えないほどの虚無が拡がっている。ネガティブ感情に蝕まれるよりはマシなのかもしれないけど、虚無は虚無で虚しい。

大学生の頃、精神的に辛い時は後悔や不安、それを材料にした自責料理などネガティブミックスパレードな状態だった。そういった感情が渦巻いていると、比喩では無く本当に頭が重くなるのが分かり、歩くたびに足が沈みこむような感覚があった。負の思考が止まらなくなって脳の処理のキャパシティを超えると、「めんどうだ」という言葉がただ一つ顕現した。そうなると頭の中を「めんどうだめんどうだめんどうだめんどうだめんどうだ」と埋め尽くすのも時間はかからない。

パソコンを処分するときって、HDDのデータをゴミ箱から消しても復元できてしまうから、データを完全消去出来るソフトなんかを使うんだよね。そういうソフトは、適当なデータでHDD全体を何回か上書きすることで復元不可にするんだ。この時はまさに「めんどうだ」って言葉で浮かんだ感情全てを上書きしていった感じだった。

こんなことになったのも人間が思考する動物だからであって、この頃は「ムダに大脳発達させやがって」とか「思考する能力なんていらねぇ」とか「人間以外に生まれたかった」みたいなことを考えていた。

哲学的なことを考え始めたのもこの頃で、中島義道の本を読んだり哲学系の2chまとめを見たりすることで、人生には意味がない論を中心に順調に生きていたくねぇ気持ちを醸成していった。こう考えていくと生への執着も無くなるし、全ては「めんどくせぇ」で理由付けできる気がしてくるから凄い。

HDDのデータを復元不可能にするには、ハンマーなどで物理的に破壊するというのもあり、これは手っ取り早く確実な方法だ。わたくしも自殺したかったが、生存本能には勝てず失敗した。こういうところは動物的なくせに、ご立派に想像したり創造する人間にはわたくしは心底向いてないと思った。

まぁ結局生きて24歳になってしまった。今は「勝手に生まれ出たのだから死ぬ選択ぐらいしたって良い」みたいな、割と死を論理的に肯定しているけども、その時は論理的思考なんて出来るわけもなく、「あぁ〜死にたい」と漫然的に死を想っていた気がする。どちらが精神的に良いかというと、どちらもアレだ。今も消えたい気持ちはあるけど、自分から死ぬことは出来なかっただけに、その積極性はあまり無い。

何が言いたいのかというと、このように感情に蓋をするような過去があって、その影響が今も残っているからニヒリストみたいになっちゃってるのかもしれないということだ。もうほんと虚無。